虐待を受けた子どもを担任する,ということ

昨日で大学の前期日程が終了しました。
学生たちは今日から夏休みです。
私たち教員には,地域の先生方の研修が目白押しで待っています。

前期の科目の1つに大学院の「臨床心理学」という授業があります。
今年度はその授業で『シーラという子』という本を教材に使いました。
この本は不適切な養育環境で育ってきた子どもが学校に通ってきて,その子を担任する教師の視点から描かれた実話に基づく本です。



本の中ではその教師であるトリイが不適切な環境で育ってきたシーラに試行錯誤しながら関わる姿が描かれています。

この本の中からトリイがシーラに対して行った教育的支援について書かれた箇所を抜き出して,どのような支援が行われたのかをKJ法で整理するということに取り組みました。



特に,生徒指導に関連するような支援の内容がたくさん抽出されましたが,その中に「教師の枠を超えた関わり」「教師としての信念」という分類が出てきました。虐待を受けた子どもへの生徒指導では,どの生徒と教師との間にいかにして信頼関係を築くか,またその関係の中で情動や行動をどのようにして一緒にコントロールできるようになっていくかということが大きな課題になります。
そうした支援の土台になるのは「教師としての信念」だということですが,同時にトリイはそれをすることが教師としての役割をはみ出してしまうのではないかという葛藤を感じながらも「教師の枠を超えた関わり」を重ねていく様子も見られました。
おそらく虐待を受けた子どもたちにかかわった経験がある方はそうだなぁと納得してもらえるのではないかなと思います。

加えて,そうした話を重ねていく中で出てきたのは,「葛藤がないと危ないよね」ということでした。
自分の行っている支援に対して「これでいい」という信念を持つ一方で,本当にこれでいいのかなという葛藤を持ち,セルフチェックをするような視点かもしれません。
虐待を受けた子どもを担任する時以外にも大切な感覚だと思います。

実際に虐待を受けた子どもを担任してきた先生方にインタビュー調査をしてみようと思います。

ide LAB.

北海道大学大学院 教育学研究院 臨床心理学講座 福祉臨床心理学研究室