【本の紹介】『自閉症は津軽弁を話さない』

『自閉症は津軽弁を話さない』という本を読みました。



題名にひかれたというのもありますが,そういわれるとそうだなぁと思って手に取ってみた本でした。
内容的には「自閉症の人は方言を話さないのか?」「なぜ,自閉症の人は方言を話さないのか?」ということを筆者の研究や先行研究を紹介しながら探索するという学術的な本でした。しかし,論の展開のさせ方がユニークで,推理小説を読んでいるような気分で読むことができる本でした。

結論から言うと,筆者は自閉症の人が方言を話さない(が,共通語は話す)ということを,社会的認知機能という視点から説明できると主張しています。テレビアニメなどのキャラクターの真似はできるが,身近な人(家族など)の模倣はできない。そこには単に動作を真似することはできても,言葉や会話の背景にあるニュアンス,文脈などを理解することが難しいという自閉症の特徴があるようです。

例えば,私が子ども時代を過ごした熊本には「~しなっせ」という熊本弁があります。
「ちゃんとしなっせ」「ご飯食べなっせ」「行きなっせ」…など。
「~しなっせ」を共通語にするとどうなるでしょう… 

「~しなさい」では語気が強すぎます。
「~したら」ほど他人任せではなく,もうちょっと勧める度合いが強いように感じます。
「~した方がいいよ」よりも,そうすることをお勧めしています。

こうした微妙なニュアンスを,私たちは子どもの頃から主に養育者の非言語的なメッセージから感じ取りながらその意味を理解してきます。ところが,自閉症はそうしたことを読み取ることが難しいというのです。

自閉症の子どもへの関わりにおいて,「もうちょっと待ってね」とか,「そこらへんに置いておいて」というように,あいまいな意味を含む指示を与えるよりも,「あと5分待ってね」「そこに置いてね」というように具体的な指示を与える方がよいと言われます。
「ご飯を食べなさい」なら意味は分かるでしょう。でも,「ご飯食べなっせ」と言われると,食べるように指示されたのか,食べなくてもいいのかわかりにくいのかもしれません。

う~ん。現場で面接をしていた時のことを思い返しました。
子どもたちとの心理的な距離を縮めるためには,その子たちが話している方言を使うことが役立つと感じてきましたし,それは子どもとの関係だけではなく,おとなとの面接でも同じです。特に,熊本に帰ったときに,年配の方と話をする時にはベタベタな熊本弁を話すと親しくなれるので,普段は使わないような熊本弁を遣ったりもします。
でも,この本を読んで,方言に含まれる微妙なニュアンスをくむことが難しい人たちとの面接で,方言の使用をちゃんと意識できていただろうか?と考えさせられました。相手の方が方言を話さなければ,自然とこちらも共通語で話をしてきたと思うのですが,意識しないところで方言(「~しなっせ」というような語尾だけではなく,方言独特の言葉(方言語彙:はわく,なおす(片付ける)など)を使ってきたのではなないかな…?と。
そういう意味で,カウンセラーとしての姿勢についても考えさせられる本でした。