学校における多様性について考える

先日,性的マイノリティの当事者の方をゲストスピーカーに招いて,授業をしました。

教員になる学生を対象とした「生徒指導」という科目では,児童生徒の学校生活上の様々な問題に対する理解と支援の方法について考えます。
いじめや不登校,発達障害などについて学ぶ中で,性の多様性についても取り上げました。
第1弾として静岡大学道徳教育研究会の学生さんたちによる,性の多様性についての授業をしました。
(⇒詳しくはこちら
それをもう少し掘り下げるために,今回は当事者を招いて実際の体験について伺い,教師として何ができるのかについて考えよう,というのが目的です。

今回のゲストは3名。
静岡には「LGBTしずおか研究会」という性的マイノリティ当事者の方と性的マイノリティに親和的な方,理解ある方のサークルがあります。
(⇒「LGBTしずおか」のホームページはこちら
その代表である細川さんに,性の多様さや多様な性を持つ人たちが置かれた現状についてお話してもらいました。





そのあと,朝原さんにはゲイであること,そして虐待を受けてきたことなど,ダブルマイノリティとしての苦しさと,その中で生きてくれることを支えてくれた人,先生との出会いや関わりについてお話をしてもらいました。朝原さんのお話は『カミングアウトレターズ』(砂川秀樹・RYOJI,太郎次郎社エディタス)という本にも書かれていますので,ぜひ,読んでみてください。



田中さんには,FtM(身体的な性は女性,心の性は男性)としての体験をお話してもらいました。また,FtMのお知り合いが取り上げられたビデオも見せてもらい,当事者が自分の性別に迷い,それを家族や周囲に伝え,また,周囲がそのことをどのように受け入れるのかについて教えてもらいました。
性別違和がある方たちの苦しさを感じたようで,学生さんたちも聞き入っていたように感じました。



そのあと,学生さんたちにディスカッションをしてもらい,質疑応答の時間も取りました。
話の迫力に圧倒されて,「いや,もう,何を聞いていいかわからん」という学生さんもいました。
また,自分が教師になった時に何ができるんだろう?ということを考えてくれていた学生さんもいました。
次回の授業ではもう少し踏み込んで,実際に自分が教師になった時に学級にそうした子どもがいた時に,何ができるかについてのディスカッションをする予定です。


一方で,学生さんからは「興味がない」という言葉も出ていたようです。
私は,正直な気持ちでいいなと思います。
「興味がない」とか「理解できない」とか,「気持ち悪い」とか。
いろいろな気持ちがあって当然なんだろうなと思います。

ただ,こうした気持ちの中には,Homophobia(同性愛に対する嫌悪感,恐怖)のように,同性愛や多様な性を持つ人に対する嫌悪感や恐怖,偏見も含まれているかもしれないということは知っておいてほしいなと思いました。そして,そうした気持ちが当事者に対する心無い言葉や態度になったり,攻撃的な言動になってしまったりすることもあるんだ,ということを意識しておく必要があると思います。実際に,当事者の方たちからは,学校で先生の心無い言動に傷付いたという話を聞くことがあります。

また,こうした性の多様性について理解することは,発達障害のように行動や発達傾向の多様性を理解したり,国籍や人種の多様性,社会的養護や貧困の問題を理解したりすることとも深く関係しています。
性の多様性について考えていても,あっち(性的マイノリティ),こっち(マジョリティ)というように分けたり,“当事者”という言葉を使ったりすることは,暗に自分の問題ではない,と遠ざけてしまっていることのように感じることがあります。

この記事でも,ゲストスピーカーのことを“当事者”という言葉,“性的マイノリティ”と表現させてもらいましたが,本人たちに「どんな風に表現したらいいかな?」と尋ねました。彼らは,あえて“当事者”“性的マイノリティ”という言葉で表現して,というようなことを言ってくれました。
こういう課題があるんだよ,ということを知ってもらうためには,今はまだそういう言葉を使うことにも意味があるんだよ,ということなのかなと感じました。



実は学校の中にはたくさんの“マイノリティ”の子どもたちがいます。
性的マイノリティに限らず,そうした子どもたちの存在に目を向け,気持ちを理解しようとする教師になろうと思ってもらえたらいいなと思います。







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北海道大学大学院 教育学研究院 臨床心理学講座 福祉臨床心理学研究室